カボッチャマンブログ

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読書感想「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」PART1

おはようございます。

 

橘玲先生が書いた、「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」の感想を書きます。

いつものように要約を書いてから、感想を書きます。

何回かに分けて1冊をやりきるスタイルでいきます。

 

PART1 正義は最大の娯楽である

1 なんでみんなこんなに怒っているのか

あらゆる生きものは、生存と生殖を最適化するように進化の過程で設計されてきた。私たちの脳にはきわめて感度が高い警報機があり、そのセンサーが常に気を配り、少しでも不穏なことがあると警報を鳴らす。アフリカのサバンナで茂みが揺れたとき、風のせいかと流してしまうより、ライオンかもしれない、と思う個体の方が生存の確立が高くなる。

また、人類は、歴史の大半で最大150人ほどの共同体で生活していた。その共同体から仲間外れにされると生存が脅かされてしまうため、相手の気持ちを素早く感じ取ったり、相手に共感したりする能力を発達させていった。

現代のような豊かな時代では、一人で生きていくことがそれほど難しいわけでもない。それなのに、脳の警報装置は昔のように、ちょっとしたことで警報を鳴らしてしまう。

 

2 自分より優れたものは「損失」、劣ったものは「報酬」

ヒトが共同体から排除されることが死につながるのなら、周りの目を気にして静かにしていればよいかというと、そういうわけにはいかない。少しでも集団内の序列を上げないと性愛を獲得できない(生殖に支障がでる)から。こうして2つのトレードオフにさらされることになった。

①目立ち過ぎて反感を買うと共同体から放逐されて死んでしまう

②目立たないと性愛のパートナーを獲得できず、子孫を残せない

ヒトはその問題を目立たずに目立つ作戦で乗り越えてきた。面と向かって相手を批判すれば争いになってしまうが、噂話を流すのであれば、自分が傷つかずに相手にダメージを与えることができる。そこで問題になるのは、相手も同じことを考えているということ。こうして、自分についての噂話を気にしつつ、他人についての噂話を流すという極めて高度なコミュニケーション能力が必要とされるようになった。

 

集団生活でもう一つ問題になるのが、「抜け駆け」と「フリーライダー

抜け駆けの例

コロナで多くの飲食店が営業を自粛している中、通常営業してお客を集めている

フリーライダーの例

コロナ収束のためには、7割の国民がワクチンを接種する必要がある、となったときに、周りのみんながワクチンを打つなら、自分はリスクを冒してまでワクチンを打つ必要はないと考え、ワクチン接種をしない

脳科学で、下方比較(自分より下位のものと比べる)では報酬を感じる脳の部位が、情報比較(上位のものと比べる)では損失を感じる脳の部位が活性化することがわかっている。

すべての生き物は、快感を求め、苦痛を回避するようにプログラムされている。正義を脳にとっての快感にしておけば、集団の和を乱す者を罰するようになる。

脳にとって上方比較は損失だから、その不快感から逃れるには、上位の者を蹴落とせばいい。それは良い話ではないが、そこに正義を紛れ込ませることで、自分の行為を正当化できる。

ネットでは最貧困やホームレスなどのコンテンツが人気だが、これは下方比較が報酬だから。

徹底的に社会的な動物であるヒトは集団からの逸脱行為を常に監視し、自分より上位の者がそれを行うと正義の名のもとに叩きのめす。それと同時に自分より劣ったものに対しては、自分の優位を誇示するように進化してきた。

 

3 なぜ世界は公正でなければいけないのか

社会心理学では、ヒトは無意識に「世界は公正でなければならない」と考えているとする。=公正世界理論

しかし世の中には不公正なことがたくさんあり、矛盾した2つの考えを同時に抱く「認知的不協和」の状態になっている。

私たちは、常に自分は正しいという前提で生きていて、認知的不協和が起きるたびに無意識でゆがみが修正され、解消される。

公正世界信念の認知的不協和は、不正だと認定した人を袋叩きにすることで正当化されている。

SNSの登場によって、簡単にそれが可能になり、欧米ではキャンセルカルチャーとして問題になっている。上方比較を損失ととらえるため、高い地位にあるものをキャンセルし引きずり下ろすことに快感を覚える。

もし、世界が公正でなかったら(モノを売っている人がぼったくっているのではないか、売っているものが偽物なのではないか、買う側も偽札を使っているのではないか、結婚相手が不倫しているのではないか、など)、誰一人生きていけない。

公正世界信念はいろいろな問題を引き起こすが、それでもみんなが公正な世界であってほしいと願うからこそ、社会が何とか成り立っている。

 

4 キャンセルカルチャーという快感

徹底的に社会的な動物である人間は、不正を行ったと感じる相手に制裁を加えると報酬系が刺激され快感を得るように設計されている。それに加えて、上方比較を損失と感じるから自分より地位の高いものを引きずり下ろすことに大きな快感を感じる。

SNSの登場によって、匿名でリスクを負わずに、何のコストもかけずにスマホをいじるだけで、この快感を得ることができるようになった。

こんなに安価で魅力的な娯楽がほかにないからこそ、多くの人が夢中になる。