カボッチャマンブログ

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読書感想「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」PART2

おはようございます。

 

前回に引き続き、「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」について書いていきます。

 

PART2 バカと無知

5 バカは自分がバカであることに気付いていない

ダニング・クルーガー効果

能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価してしまう認知バイアス

自分の能力ついての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できない(なぜならバカだから)ので、自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信を持つようになる。

能力が高い人は、自分がこれくらいできるんだから、他の人はもっとできるのだろうと自分の能力を過小評価する。

 

6 「知らないことを知らない」という二重の呪い

知と無知のパターン

①知っていることを知っている

足し算の規則を知っているから、1+1=2であることがわかる

②知らないことを知っている

パソコンがどんな仕組みで動いているか知らないから、壊れたときに自分で直そうとせずに、誰かに頼むことができる

③知らないことを知らない

ダニング・クルーガー効果

④知っていることを知らない

芸術家、スポーツ選手などが、自分のパフォーマンスを論理だてて説明できない

 

ヒトは旧石器時代から共同体の中で地位をめぐって争ってきた。時代によって評価される能力は異なるが、能力が高いものが評価されるのは変わらない。自分に能力がないことを他者に知られるのは致命的だから、自分の能力を過大評価するようになった。反対に、権力者は将来のライバルになるものを排除しようとするから、能力が高いことが他者に知られることも問題だった。こうして能力の高いものは能力を過小評価して、共同体の中で目立たないようにしたのではないか。

 

7 民主的な社会が上手くいかない不穏な理由

「三人寄れば文殊の知恵」では、一人の限られた知識で問題を解決するよりも、様々な知識を持つ者たちが集まって協力した方が良い結果を生むとされる。

ダニング・クルーガー効果は、能力の高いものは自分を過小評価し、能力の低いものは自分を過大評価することを明らかにした。

能力の低いものは、共同体の中で自分に能力がないと知られるのが致命的であるため、それを隠そうとして、自分を大きく見せようとする。反対に能力の高いものは共同体の中で目立ち過ぎないように自分を小さく見せようとする。その結果、能力に違いがある2人が話し合うと、賢いもの(能力の高いもの)がバカ(能力の低いもの)にひきずられてしまう。=平均効果

三人寄れば文殊の知恵の集合知を実現するには、一定以上の能力を持つ者だけで話し合うこと。

それが無理なら、話し合いを諦めて優秀な個人の判断に従った方が良い選択ができる。

ただし、能力の劣ったものを排除する必要があるし、そんなことが社会から受け入れられるか・・・。

 

8 バカにひきずられるのを避けるのは?

集団で話し合いをするときに一部のメンバーの自尊心を脅かすと、そのメンバーは傷ついた自尊心を回復するためになりふり構わなくなり、決定の質が下がる。

一見、自信たっぷりに見えても内心は強い不安を抱えていて、頻繁にマウンティングする人も問題。

そんな状況でも、破滅的な状況を避ける手段は、集団での意思決定をしないこと。

経営者のワンマン経営で企業が成功するのは、独裁者の意思決定によってバカに引きずられる効果を避けられるからかもしれない。

 

9 バカと利口が熟議するという悲劇

「相手のことをとりあえず信用する」のは、ヒトの本性が性善説だからではなく、脳の認知能力に限界があるから。

共同体で狩猟採集をして暮らしていた時代なら、相手をだますと悪い評判がたち、共同体から排除されてしまう。それは死につながるため、相手を信じること、正直にふるまうことが報われるようになった。

その仕組みは、ウソをついた者を特定して制裁するシステムがあったからこそ、成り立つ。昔は身分やイエが、今では、学歴、資格、所属する組織などによって信用を補完されている。

SNSには、信用を補完するものがなく、匿名で投稿できる。ヒトは攻撃されれば、反撃するし、自尊心を傷つけられればそれを回復しようとする。脳はネット上の単なる言い争いと、部族間の争いを区別をつけることができない。そのため、些細な対立が収拾のつかない混乱へと拡大していく。

この問題を解決するには、投稿者一人一人をマイナンバーなどで本人と紐づけて管理する必要がある。そのうえで、信用度を評価し、信用度が低い者は排除しなければならない。

原理的には、バカを排除する以外に「バカに引きずられる効果」から逃れる道はない。

 

10 過剰敬語「よろしかったでしょうか」の秘密

社会がリベラルになり、すべての人が平等の権利を与えられることは良いことだが、人間関係がフラットになると、どんな言葉が相手を傷つけるのかわからなくなる。こうして若者たちは「よろしかったでしょうか」のような過剰な敬語を使うようになり、上司が部下に敬語で話しかけるようになった。

教師が生徒を叱るのは、学校とはそういうところであるという合意がなされているから。生徒と教師が対等になると、教師からの𠮟責は、自尊心への攻撃とみなされてしまう。

人間は匿名の陰に隠れると残酷になる。戦争で人を殺せるのは、軍隊が個人ではなく匿名の兵士の集団だから。

SNSは、自分は安全な場所にいながら、相手を一方的に攻撃できるため、些細なことで自尊心を傷つけられたと感じた人たちが、誹謗中傷をぶつけ合っている。

問題は、だったらどうすれば良いのかが分からないこと。

 

11 日本人の3人に1人は日本語が読めない?

PIAAC(国際成人力調査)

①日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない

②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない

③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない

 

日本の人口のおよそ6人に1人は偏差値40以下

税務申告、生活保護などの役所の申請書類を正しく記入するには、偏差値60程度の能力が必要になる

自力で作成できるのは、5人に1人くらいで残りはお金を払って誰かにやってもらうか、諦めるしかない

この現実に気付かないのは、制度を決めている人がエリートばかりだから

 

12 投票率は低ければ低いほどいい

学校では投票に行くことが義務だと教えられ、社会人になれば、選挙に行ったか聞かれる機会も増える。言っていないのにウソをついて、行きました、と答えることはできるが、それは気分が悪い。

それなら、でかけたついでに近くの投票所に行って、投票すればいい。そのこと自体にのコストはそれほど大きくない。周囲からの同調圧力ために投票に行く人が一定数いることは何の不思議でもない。

だとしたら、真のコストは何か。それは候補者の詳細な情報を入手・検討し、誰に投票するかを決めること。自分の一票の価値がほぼゼロであるのに、そんな面倒なことはしない。テレビでやっていた、うちは代々あの政党に投票している、などの理由をつけて投票するのが、候補者の情報収集への時間を減らすことができる上に、同調圧力の問題も解消できてコスパがいい。こうして、賢い人も政治に関しては「合理的に無知」になる。

国民の中には、こういう風に政治を変えてほしいから、あの政党に投票するという明確な意思をもった人ももちろんいるから、合理的に無知な状態で投票する人が減れば(投票率が低ければ)、民主主義が実現に近づくということになる。明確な意思をもった人が極端に右・左に偏った人が多くなければ・・・。

 

13 バカでも賢くなれるエンハンスメント2.0

身長や体重、足の速さなどと同様に知能にはばらつきがあり、それはほぼベルカーブになる。この不都合な事実を隠ぺいするために、学力は教育によって向上する、とするイデオロギーが教育幻想。幼いときの方が教育効果が大きいということが明らかになったが、幼児期を過ぎたら諦めるしかないかというとそうでもない。

DBS(頭蓋骨を切開し電極を埋め込む)、tDCS(頭皮に直接電流を流す)、TMS(大きな電磁コイルを頭皮にあてる)などの方法により、学習能力の向上が認められたという研究がある。アメリカではリタリンなどの中枢神経刺激薬が処方され、子供のころからなじんでいる。

これらの方法がより一般的になり、大人になってから知識をエンハンスメント(増強)する時代がくるかもしれない。