カボッチャマンブログ

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読書感想「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」PART4

前回に引き続き、「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」の内容まとめを書いていきます。

 

PART4 「差別と偏見」の迷宮

25 無意識の差別を計測する

差別や偏見の議論がややこしいのは「差別主義者」がどこにもいないから。リベラルな社会では、「差別主義者」は生きていけない。

IAT(潜在連合テスト)で偏見の度合いを測ることができる。ただ、リベラルな白人がこのテストを受けると白人至上主義者と同じような結果になり、同性愛者の女性活動家がこのテストを受けると、同性愛=良いより同性愛=悪いの連合が強く出た。白人は黒人と銃のようなネガティブなものを連合させたが、黒人もまた同じ結果だった。とすると、IATで測っている偏見とは何かという問題が出てくる。IATによるとアメリカでは人種や主義主張に関係なく全員がレイシストになってしまう。だからリベラルはこの事実を隠そうとする。

 

26 誰もが偏見をもっている

IAT(人種)をやってみた結果、

黒人の人たちよりも、白人の人たちに対する中程度の自動的な選好

でした。

 

27 差別はなぜあるのか

脳には認知的な限界があり、複雑なものを複雑なまま取り扱うことができないため、ヒトの集団をいくつかのカテゴリーに分けて理解しようとする。

アメリカ人は初対面の人を性別、年齢、人種の3つのカテゴリーで即座に判断する。男性からすれば、子供や老人は危害を加えられないから無視すればいい、若い女性は性愛の対象になるし、若い男性は生存への脅威になるから、より強い関心をひく。人種は簡単に説明がつかない。その後の研究で人種ではなく、社会であることがわかった。社会とは俺たち(内集団)と奴ら(外集団)の帰属のこと。

環境から得られる資源が一定で、そこで暮らす集団が大きくなると集団が分裂して社会(共同体)が生まれる。そうなると同じ社会の人間と協働し、異なる社会との競争に勝ち残ることが最適戦略になる。俺たちと奴らを見分けるために、しるしが必要になる。一人一人の個性を見分けられる脳のスペックは50人ほどしかない。数百人や数千人集団を一人一人見るのは認知の限界を超えている。

差別をなくすには、カテゴリー化することをやめればいい。差別は人間の本性。

悪いことばかりでなく、異なる社会同士の暴力が穏健化している。今ではSNSで誹謗中傷を言ったり、サッカースタジアムで敵サポーターをけなしたりするくらいで、殺し合いは起こらない。また、AIの発達により、一人一人の外見や知能などの個性によって点数化され人種や民族といったカテゴリーで評価されることがなくなる。

 

28 「偏見」の中には正しいものもある?

偏見は、社会科学の分野でたくさん研究されてきたが、そこには「ステレオタイプが事実かどうかは問題にしない」という奇妙なルールがある。

それは、科学的・歴史的に真偽がハッキリしているものが検証された結果、曖昧なものが残ったから。

男女の差については脳の構造やホルモンの影響などから、科学的に当然と考える人も増えてきた。しかしながら、人種問題になると、問題は難しくなる。収入や犯罪件数などを人種ごとに調査したり、ヒトがアフリカを出てからどのように変異してきたかを研究したりして、科学的に説明できたとしても、それをすると差別主義者とみなされて、社会的生命を失うことになる。

 

29 ピグマリオン効果は存在しない?

ピグマリオン効果:教師の期待によって学習者の成績が向上すること

小学校低学年の早い時期にはピグマリオン効果は認められたが、、後半の時期、高学年では認められなった。学校の先生が、優秀だと言われていた生徒が本当に優秀かどうかを自分で判断した結果だろうか。

ピグマリオン効果は、仕事や勉強ができない人からすれば、自分は悪くなく、先生や上司、社会の期待が低いからだという都合のいい言い訳になる。逆の立場からすると都合の悪い話になる。また、自分以外に原因があるとすれば、自分で努力しなくなる。

周囲の期待によって結果が変わることがあるのは事実だが、すべてがそうなるわけではない。

結局、個人の能力が、遺伝によるものか、環境によるものかの振り出しに戻っただけ。

 

30 強く願うと夢はかなわなくなる

ヒトの脳は理想と現実の区別がつかないため、夢をかなえた後のことを想像すると、それが達成したと思い込み努力しなくなるらしい。

サバイバルバイアス:特殊な例から結論を導くこと。生き残った少数から結論を出し、死んでいった大勢のことを考えない。日本の宝くじが典型例で、期待値は50%程度しかない。

プロ野球選手になりたいと思わなければ、野球をやらないだろうが、強く願ったからといって実現するものでもない。強く願っただけでかなう夢はその程度のものということ。

 

31 ベンツにのると一時停止なくなるのはなぜ

参加者を高い地位の者と低い地位の者にランダムに割り振る実験で、低い地位の者は面接官にウソを見抜かれたが、高い地位の者は面接官にウソを気付かれにくかった。ちょっとした地位の変化が自信を与え利己的なウソつきにした。

他にも、自分のお金でなくても現金を見るだけで人をだます傾向が高まるという研究や現金を目立たせると助けを求められても積極的に支援しなくなるうえ、自分が困ったときに他者に助けを求めるのをためらうようになったという研究もある。

資産の多寡にかかわらず、ベンツやSUVに乗ると横断歩道に歩行者がいても一時停止しなくなるらしい。それはお金が人間関係のしがらみから解放してくれるから。

お金がなければ、近所の人と助け合い、信頼して生活しなければならない。お金があれば、お金で解決できて、煩わしい近所づきあいもしなくて済む。

金持ちは利己的で貧乏人は利他的ということではなく、人間は誰もがお金によって自由になりたがっていることを証明した。

お金持ちには傍若無人な人もいるが、SNSが発達していつ自分がさらされるか分からない今となっては、富裕層ほど品行方正になっていくのではないだろうか。

 

32 「信頼」の文字の裏に刻印された「服従」の文字

子どもに、いつも一緒にいる保育士と初めて見た保育士のどちらが好きか聞くと、いつも一緒にいる保育士を選ぶ。その保育士2人にクイズを解いてもらい、いつも一緒にいる保育士はすべて不正解、初めて見た保育士が全問正解だったことを子供に教えた後、知らない物の名前をどちらに教えてもらいたいかたずねると、3歳児はいつも一緒にいる保育士を選ぶが、4歳児は初めて見た保育士を選ぶ。相手が自分にとってどれだけの利用価値があるかを無意識に見積もっている。子供は無力であるからこそ、どれだけ親切で優しくても、役に立たなければ意味がないと冷酷に判断できる。大人になってもそのことは変わらない。

学習のパラドクス:おもちゃの遊び方を子供に教える実験で、遊びのエキスパートだという大人の行動を子供はマネするが、遊び方を知らないという大人の場合は、子供が自分で創造的、効率的に行動した。能力がある人が教えることは統制をとるときには有効だが、創造性・独創性が失われてしまうこともある。

ヒトは誰かを頼らないと生きていけないから、他人を信頼する。

1960年のアイヒマン実験で、権威への服従は国民性ではなく、ヒトの普遍的な傾向であることがしめされた。

他者の信頼を裏切り、権威に服従して自分の利益を最大化するように人間は進化してきたのではないだろうか。

 

33 道徳の「貯金」ができると差別的になる

食べ過ぎた翌日は、もっと節制しようと反省する。厳しいダイエットを続けると、いきなり暴飲暴食の反動がくる。旅行や買い物で散財した後は節約を決意するが、仕事が忙しいとそろそろ自分へのご褒美でもと思い始める。

私たちは、無意識のうちに損得を判断し、帳尻を合わせようとしている。

この帳尻合わせは道徳にも及ぶ。社会では善をプラス、悪をマイナスとされていて、善をなすと道徳の貯金箱がプラスになるので、次は悪行をしても許されると思い、悪をなすと道徳的にマイナスになるので、次は善行で帳尻を合わせようとするのではないか。

これは、心理学者の研究で確かめられた。道徳の貯金箱は大雑把で、人種やジェンダー、どんなことでも善い行いをしたと思えば、貯金箱がプラスになる。また、道徳の貯金箱の残高は、他人にどれだけ貯まっているかを知られている必要はなく、自分が納得するかどうかで決まる。

世の中にはきれいごとを言う人がいて、その人たちが胡散臭く感じるのは、公の言動で道徳の貯金箱がプラスになっているから、見えないところで不愉快な行動をとるからかもしれない。

 

34 「偏見をもつな」という教育が偏見を強める

偏見をもつな、といわれると無意識に偏見について考えてしまう。それを意識によって抑制するが、その時に意志力を消耗させるので、作業が終わったとたんに押さえ込んでいた偏見が表に出てしまう(=思考抑制のリバウンド効果)。

偏見をもたないように教育するとかえって偏見が強くなるなら、差別の教育をしない方がよいのか、というとそうではない。ただ、過剰に差別や偏見に意識してしまうようになる効果があることは知っておくべき。

人種や性別でなく、個人の能力で評価するべきだというのか、リベラルの意見だが、これだと、すべてが自己責任になる。その結果、マイノリティ側から、マジョリティの都合のいい責任逃れだと批判されるようになった。制度的な不利益を被っている人がいる以上、黒人、女性、性的少数者などの属性から目を背けてはならない、というのだ。

そうなると、個人としては違いがないにもかかわらず、集団としての違いは重視しなくてはならなくなる。

差別のない社会を作るうえで、政治的正しさは必要だが、道徳の貯金箱、思考抑制のリバウンド効果を考えると、そんな複雑なことができるかどうか・・・。

 

35 共同体のあたたかさは排除から生まれる

私たちはどんな理由でも(理由がなくても)グループ分けされたとたんに、内集団を形成し、そのメンバーに対して外集団よりも親切にふるまう。

リベラル化する社会では、教会や町内会などの中間共同体が解体され、一人一人がバラバラになっていく。こうした個人主義に対抗する政治思想は共同体主義と呼ばれる。

人情、ぬくもり、誇り、自己犠牲は進化の過程で脳に埋め込まれた向社会性、身内びいきから生まれる。

保守であれ、リベラルであれ、すべての共同体は排外主義の一形態。

内集団があるとき、必ず外集団もある。人類という家族になることはできない。近くにいる敵と争うが、遠く離れた集団とは争わない。日常的に接触のない相手は脅威にならず、同盟や交易を交わした方がメリットだ。

 

36 愛は世界を救わない

近年、共感の重要性が強く唱えられるようになった。みんなが高い共感力をもてば、戦争や差別など多くの問題が解決するのだという。

オキシトシンというホルモンが共感に関わっていて、オキシトシンの濃度が高まると共感する気持ちがつよくなる。こうした生理学的な要素がある以上、教育によって共感力を高める努力には限界がある。男女による差もあれば、生得的に共感力が高い人と低い人もいる。

オキシトシンを被験者の鼻に噴霧した実験で、オキシトシンに効果で、より排他主義的になる結果がでた。(内集団への共感力が高まった結果、外集団を排除するようになった。)

ヒトは限られた人数の集団で生活していたから、すべてのヒトに対して愛を向けるように進化したとは考えにくく、自分が属している集団(内集団)に愛着を持つように進化したのではないか。

共感は素晴らしいものだが、愛を強調すると世界は分断の方向に進む可能性があるのではないか。