カボッチャマンブログ

映画、読書の感想、悩み事、楽しかったことなどいろいろ書きます。

ギターの発表会に参加しました!!

おはようございます。

 

とても久しぶりの更新になってしまいました。

仕事が忙しかったのと、仕事の悩みと、プライベートの悩みといろいろ重なってブログをやる気になれませんでした。

 

そんな中でも、ギターは続けていました。昨年の10月にギターを買って、11月から音楽皇室に通って、毎日少しずつ練習してきました。

そして昨日、発表会に出てきました。

始めたときには発表会に出ることなんて全く考えていませんでした。それがなぜか参加者募集のときになったら、全く迷うことなく参加することを決めていました。人前で演奏することを目的にギターを弾いているわけじゃないし、人前で演奏したこともないし、自分でも何で迷わなかったのか不思議に思いました。

発表会は自分の好きな曲を1曲演奏することができました。曲を流して弾くのもでも、歌うのも、OKでした。今年からの試みで、プロのピアニストの伴奏で演奏することができるとのことだったので、私はそれをやることにしました。

リハーサルから手が震えていて、いつもどおりの演奏ができませんでした。また、いつもはCDの音源で練習しているところ、ピアノの伴奏とベースと合わせるという形態に慣れることができませんでした。

本番もピアノが今どこを弾いているか分からなくなって、途中で手が止まってしまいました。

せっかく練習したのに、こんなもんなのかな、と思いました。何のためにギターをやっているのか、楽しめているのか、いろいろと考えさせられました。

久しぶりにあんなに緊張して、結果はどうあれ、人前で楽器を演奏する経験ができたことは良かったです。

全くうまくできなかったのに、あまり後悔がなかったのは、練習量が足りていなくて、うまくできないであろうことを予想していたから、自分にそれほど期待していなかったからかもしれません。昔の私だったら、何でうまくできなかったんだろうとか、せっかくあんなに時間をかけたのにとか、ずっとひきずっていたと思います。それが良いかどうかは別として、心の持ちようが大人になるにつれて変化しているのかなと感じました。昔のように夢中になって何かをすることが難しくなっているなとも思いました。

私の前にエレキギターを演奏した方は、演奏が終わって楽屋に戻ってから、失敗したことをとても悔やんでいました。演奏前も緊張しているのがヒシヒシと伝わってくるくらい、発表会にかける思いが強かったのだと思います。周りのことを見えるようになったのもひとつ成長だったなと思います。ちなみに、私の前に演奏した人は、めちゃくちゃ上手で正直どこを失敗したのか全くわかりませんでした。落ち込む必要なんて全くないと思いますが、きっと彼には強い思いがあったのだと思います。

 

発表会を終えて、ギターをやめる、少なくとも教室に通うのをやめようかと思っています。というのも、なぜかピアノをやりたいと思うようになったからです。両方教室に通うのは時間的にも金銭的にも厳しいし、両方を進められるほど器用じゃないと思うからです。

もう少し落ち着いて考えようと思います。

 

皆さんも楽器に限らず、何か新しいことに挑戦してみてはどうでしょうか。きっと貴重な経験ができると思います。

親、兄弟にギターを始めるといったとき、発表会に出るといったとき、笑われましたが、私としてはやって良かったと思います。

テレビに出ているミュージシャン、音楽教室の講師の先生、発表会に出ていた小学生、音楽を本気でやっている人の凄さに気付けたのが、一番大きな学びでした。

100m走をやったことがあるからウサイン・ボルトが凄いことが分かるんです。本気で勉強したことがあるから東大の人が凄いことがわかるんです。

 

それでは。

読書感想「夢をかなえるゾウ0」

おはようございます。

 

ここ最近は仕事が忙しく、職場の人間関係に悩んだりして、ブログを更新する元気がありませんでした。

やっと数日前から気持ちが落ち着いてきたので、久しぶりにブログを書きたいと思います。

 

いつもは1冊読み終わってから感想を書きますが、「夢をかなえるゾウ0」は最初の数十ページ読んだだけで、心に刺さることがあったので、書こうと思います。

 

夢をかなえるゾウはとても有名な本で、シリーズとして何冊か出ているというのは知っていましたが、最初の1冊目を読んだことがあるだけで、しかもあまり内容が心に刺さらなかった記憶があります。きっとメンタルが安定していた時に読んだからでしょうか。

夢をかなえるゾウ0は、そのシリーズの最新作で、読もうと思ったきっかけは、仕事の悩みをネットで打ち明けたときに、オススメしてくれる人がいたからです。

 

この本は、ガネーシャというゾウの神様が平凡な会社員を偉人にするまでを描いている本のようです。冒頭を読んだだけですが、そんな感じのようです。

主人公の会社員は、職場の上司からいわゆるパワハラを受けていて、仕事をやめたいと思っているけど、両親は今の会社に勤めていることを喜んでいるし、今の仕事をやめたら生活ができなくなるのではないかと不安を抱えている、相談できる人もいない、そんな状況です。

ある日、今日こそ課長に退職を申し出ると意気込んでみたものの、結局言えず、自販機に歩いていきます。そこで清掃員に扮したガネーシャと出会います。

ガネーシャはとても優しく相談に乗ってくれます。いろいろなやりとりがあるのですが、そこでガネーシャが言った言葉がとても心に刺さりました。

”人が生きる上で一番大事なことはな、本当につらいときに「助けて」と口に出して言えることやねんで”

この言葉がすごく良いなと思いました。

今まで勉強に熱心に取り組んで、レールから外れたことがなく、仕事も真面目にやってきた主人公にとっては、とても救いになる言葉だったと思います。

その後、ガネーシャのおかげで、主人公は会社をやめます。

私が今読んだのはここまでです。

 

私も今まで、周りが勉強しているから勉強する、周りが就活するから就活する、みんながそうしているから自分もやる、といったことが多かったなと気付きました。当然それが悪いというわけではありませんが、自分は本当はどうしたいのか、周りがやっているだけという理由でやっていることに意味はあるのか、と深く考えることは今までにあまりなかったと思います。

ここにきて、そんなことに気付きました。もっと早く気付いて、自分の人生について深く考えておけばよかったとも思いました。そんなことで後悔していても始まらないので、今からやろうと思います。

人生の大部分が仕事に支配されていましたが、もっと大きく見て、楽しいことに目を向けて、自分の人生を充実させていかないともったいないと思います。当然生きていく上でお金は必要です。ただ、上を見たらキリがないですし、他人と比べて落ち込んでいてもマイナスにしかならないので、自分の現状を受け入れて、楽しめることを探そうと思います。

仕事以外にも、結婚して子どもがいて、マイホームを持っている同年代の人を見て、自分はなんてダメなんだろうとか、あの人はカッコよくて頼りになりそうだなとか、あの人は良いクルマにのってるなとか、周りと自分を比較していても苦しくなるだけです。

そういうのを見て、どうやったら自分もそうなれるかを学び取ることも大切ですが、そもそも自分もそうなりたいのかを考えるのも大切なのかなと思います。

 

久しぶりにブログを書きましたが、気持ちの整理をするという意味でも良いものだなと感じました。

 

それでは。

 

近況報告

おはようございます。

 

久しぶりの更新になりました。

最近、仕事がうまくいかず、憂鬱な日々を送っております。

今までは何とも思わなかったことが、最近気になったりして、精神的に辛いときがあります。

 

そんなことを一時的に忘れられるのが、映画です。

いろいろな映画を見ました。今は007シリーズを見ています。

アクションが派手だし、ボンドガールとのお色気シーンもあるし、面白い作品です。

今度感想を書こうと思います。

 

仕事の内容というより、結局は人間関係が大切で一緒に仕事をする人、仕事上関わる人とどう過ごせるかがかなり重要になるなと改めて実感しました。

仲良くしなくても良いとは思いますが、仲が悪いのは良くないかと思います。

 

ただ、最近成長したことがあって、イライラしているときに、自分がイライラしていると気付けるようになったんです。そのときの感情に任せて言いたいことを言って後悔するなんてことが日常茶飯事でしたが、昨日なんかはそこでグッとこらえ、ここで言いたいことを言ったところで状況は良くならないどころか悪くなるだけだと思い、しばらくして落ち着いてから話をすることができました。

また、イライラした相手の良いところをこっそり紙に書いて、この人は悪いところもあるけれど、こんな良いところもあるんだと自分に気づきを与える(?)こともできました。

 

休みの日まで仕事のことを思い出してしまう時点で少し問題ありかもしれませんが、どうしようどうしようとウダウダ悩んでいた昔の自分と比べれば大きな成長だと思います。

当然職場を一歩出たら仕事のことを忘れて私生活をエンジョイできる方が人生が幸せになるのは間違いありません。ただ、今すぐにそれを求めたり、それができる人とできない自分を比較して、ああなんて自分はダメなんだろうと思う必要もないのかなと最近思えるようになりました。

年齢を重ねるごとに求められるもののレベルも上がっていきますし、周りの状況も昔とは違うので一概に比較はできませんが、過去の自分と比べて少しでも成長が実感できているのであれば、それをまず喜んで、次につなげていけば良いのではないでしょうか。

 

職場の人間関係で悩んでいる人の参考になればうれしいです。

 

どこにでもスターのような人がいて、自分と比べてしまうのはごく自然のことだと思います。冷静に分析して自分には何が足りないのかを考え、その能力を伸ばしていけばいいと分かっていてもなかなか行動できない。それでも別に良いんですよ。本当にやりたいことは考える前にやってますから。

 

こんな感じです。

 

台風がくるみたいなので、早めに買い物を済ませておきます。

 

それでは。

「ザ・インターネット」 映画感想

こんばんは。

 

ザ・インターネットを見たので感想を書きます。

 

この映画は、1996年に公開されたアメリカ映画です。

主人公のアンジェラ・ベネッタは、コンピュータソフトのバグを見つける仕事をしていました。ある日、会社のデイルから、政府機関にアクセスできる不思議なソフトウェアがあることを聞きます。デイルがアンジェラに会いに来ることになったものの、デイルは飛行機の事故で死んでしまいます。アンジェラは、そのソフトをフロッピーディスクで入手しますが、デイルが来ないことを不審に思い、会社に電話すると、デイルが死んでしまったことを聞かされます。

アンジェラは、その日から休暇をとってメキシコに行く予定を組んでいました。予定どおりメキシコに着くと、ジャックという男に食事しないかと誘われます。ジャックは、アンジェラのフロッピーを奪おうとし、アンジェラを殺そうとします。アンジェラは何とか逃げ延びて、アメリカに戻ります。しかし、自分の家に着くと、自分の家が売りに出されていました。また、アンジェラは、ルース・マークスという女性としてすべての登録情報が書き換えられ、ないはずの犯罪歴まで登録され、警察に追われます。

ジャックは、アンジェラを追い続けますが、アンジェラに返り討ちにあい、最後は死んでしまいます。

ジャックはインターネットを使って、アンジェラの情報を書き換えていたのです。アンジェラは警察に逮捕されたり、誰も自分のことを信じてくれなかったりして、諦めかけます。

最終的には、アンジェラがジャック達が作ったソフトを壊し、黒幕に情報をFBIに流して、アンジェラはもとの生活に戻ります。

 

インターネットを悪用した犯罪について、1996年から考えられていたなんてスゴイと思いました。

社会保障番号もクレジットカードの情報も全部インターネットで管理されるのは便利な面もありますが、書き換えられて自分の存在があやうくなる危険性もあることを伝えたかったのでしょうか。正しく使えば良いだけですが、いつの時代も悪いことを考える人はいるもんですね。

 

今日はここまで。

それでは。

「ペンタゴンペーパーズ」 映画感想

おはようございます。

 

ペンタゴンペーパーズを見ましたので感想を書きます。

 

この映画は、アメリカの新聞社、ワシントン・ポスト社が、アメリカ国防総省の機密文書(ペンタゴンペーパーズ)を新聞に掲載したという実話をもとにした話です。

多くの兵士を導入したにもかかわらず、ベトナム戦争終結しないことにアメリカ国民が不満を募らせる中、当時のマクナマラ国防長官の指示のもと、エルズバーグという軍事記者が戦争の状況を調査します。

マクナマラ国防長官は、報告書を作成しますが、国民には伝えることができない内容だったため、機密文書としてランド研究所というところに保管します。エルズバーグは、その内容があまりにもひどく、国民に伝えている内容とは違うものであったため、それを公にしようと、ランド研究所から機密文書を持ち出し、コピーをとります。そのコピーの一部をニューヨークタイムズ社に渡し、ニューヨークタイムズが新聞に載せます。

ワシントン・ポスト社の編集担当のベンは、自分たちも新聞に載せるべきだと考え、社長のキャサリンニューヨークタイムズが載せなかった残りの文書を手に入れ、それを新聞に載せるべきだと伝えます。キャサリンマクナマラ長官の友人であり、長官を苦しめるようなことはしたくないと拒みます。

ベンはキャサリンの反対を押し切り、自力で文書を集めようと動き出します。そんな中、ワシントン・ポスト社に謎の女性から、残りの文書の一部が届けられます。それを新聞に載せようとしていたところ、ニューヨークタイムズが先に新聞に載せます。

また、先を越されたと思っていたころ、政府は、ニューヨークタイムズに掲載の差し止めを要請します。キャサリンニューヨークタイムズがダメなら、自分たちもダメだと思い、掲載することに躊躇しますが、ベンは逆にチャンスだと思い、文書の残りを集めようとします。

ワシントン・ポスト社のバクディキアンは、元ランド研究所の職員で、文書を持ち出したのがエルズバーグではないかと気付き、本人のもとを訪ねます。バクディキアンの読みは正しく、エルズバーグの家にはすべてのコピーがありました。エルズバーグに記事にすることを約束し、文書をワシントン・ポスト社に持ち帰ります。

キャサリンは、文書の内容を見て公にする必要があると思いつつも、ニューヨークタイムズに差し止め命令が出れば、自分たちが犯罪者になり、会社が潰れてしまうことで、深く悩みます。会社の役員からも掲載をやめるように言われますが、マクナマラ長官と接触しアドバイスを受け、最終的には掲載することを決断します。

ニューヨークタイムズとともに法廷で戦うことになります。判決が出ないまま、不安を抱えているなか、ベンがキャサリンのところに袋持ってきて、他の新聞社の新聞を机に並べ始めます。そこには、機密文書のことを報じた1面がずらっと並んでいて、自分たちがやったことに他の新聞社も賛同してやってくれたことが分かります。

裁判でも勝つことができ、めでたしめでたし・・・とは終わらず、最後のシーンでは、政府の建物に侵入者が入ったところが描かれ、次の問題が起こったことが暗示されて終わります。

 

この映画には派手なアクションシーンがあるわけではありませんが、とても見ごたえのある作品でした。大統領でさえ、自分の都合の悪いことを隠し、国民に嘘をつき続けていること、それを公にしようとすれば、自分たちの人生・生活を失うかもしれない中でも決断など、一般人には知ることができない様子が多く描かれています。

正義のためとはいえ、機密文書を持ち出すこと、新聞に載せることは法律に違反している・・・という葛藤、会社の役員、自分の家族にも迷惑をかけることになるかもしれないという過酷な状況で決断を迫られるキャサリンの強さ、などなど面白い部分がたくさんありました。

 

みなさんもぜひ一度見てみてください。

 

それでは。

「チェンジリングス」 映画感想

こんにちは。

 

映画チェンジリングスを見たので感想を書きます。

 

この映画は、1928年のロサンゼルスで起きた実話をもとにしたものです。シングルマザーのクリスティンは、息子のウォルターと二人で暮らしています。クリスティンは電話交換手として働いています。ある日、クリスティンは職場から人手が足りないから仕事に来てほしいと呼び出されます。その日はウォルターと映画を見に行く予定だったのですが、しぶしぶ職場に行きます。

家に帰るとウォルターがいなくなっていました。すぐに近所を探しましたが、見つからなかったため、警察に電話しても、24時間は何もできない、朝になれば戻ってくると断られてしまいます。

朝になってもウォルターは戻らず、警察がやっと動き出しますが、見つかりません。

5か月後、ロサンゼルス市警のジョーンズ警部からウォルターが見つかったと連絡が入ります。クリスティンは急いで迎えに行きますが、そこにいたのはウォルターではない、別の男の子でした。

クリスティンは、ウォルターではないと強く訴えますが、全く取り合ってもらえないばかりか、その子供は自分がウォルターだと言っています。

身長がウォルターより7cmも低い、割礼されている、歯の特徴が違う、担任の先生が別人だと言っているなど、明らかにウォルターとは別人ですが、警察はそれを認めようとしません。行方不明になった男の子を探さずにいた失態を認めたら信用を失うからです。

クリスティンは訴え続け、ロサンゼルス市警の不正を暴こうとするブリーグレブ牧師に声をかけられます。そのことを知ったジョーンズ警部は、クリスティンを精神異常者とみなし、無理やり精神病院に入院させます。

その病院では。クリスティンと同じように何の罪もないのに、警察の不正をもみ消すために無理やり入院させられた女性たちがたくさんいました。クリスティンはどういっても出られないことを知り苦しみます。

そのころ、ロサンゼルス市警のレスター刑事がある牧場にいるサンフォードという少年が不法滞在しているから連れてきてカナダへ送還するよう指示されます。レスター刑事がサンフォードから話を聞くと、従兄弟のゴードンに強要されて子どもを20人くらい殺したと話します。行方不明になっている子どもたちの写真をサンフォードに見せ、殺した子どもがいるか聞くと、ウォルターがその中にいたと言います。ジョーンズ警部は牧場の捜査をやめるように言いますが、レスター刑事はサンフォードを牧場に連れていき、殺した子どもたちを埋めた場所を案内させます。すると、そこから、子供が履いていた靴や骨が見つかります。本格的な捜査を行い、ゴードンを逮捕します。

ブリーグレブ牧師は事件のことを知ると、腕利きのハーン弁護士を連れ、クリスティンを精神病院から助け出します。

クリスティンは、捜査が適切に行われていないこと、警察が無理やり女性たちを精神病院に入れていることを訴えます。

ウォルターがゴードンが殺した20人の中にいたかは定かではありませんが、ゴードンは2年間の独房収監の後、死刑が言い渡されます。

ジョーンズ警部は停職処分、ロサンゼルス市警本部長デービスは解任、ロサンゼルス市長は選挙の立候補を断念します。

2年後、ゴードンからクリスティンに電報が届き、真実を話すので面会にきてほしいと 言われます。死刑執行の前日にクリスティンはゴードンに面会に行きます。しかし、ゴードンは真実を話さず、クリスティンが詰め寄ってもはぐらかすばかりで結局真実は分からないまま、死刑が執行されます。

その7年後、牧場から逃げ出したという少年が現れます。その少年はゴードンに誘拐されたとき、ウォルターがいたと話します。逃げるときに足に金網が引っかかってしまったところをウォルターに助けられたことを話します。しかし、ウォルターが逃げ延びたのか、捕まってしまったのかは分かりませんでした。

クリスティンは希望を持って生き、生涯ウォルターを探した、という結末で映画が終わります。

 

クリスティンが息子を失う辛さ、警察の不正、精神病院のひどさ、などなど心が痛む場面が多いですが、勉強になる映画でした。

途中で見るのをやめようと思ったくらい、残酷なシーンがありますが、希望を持って最後まで行動し続けるクリスティンの強さに勇気づけられたり、今の日常のありがたみを再確認できたりする映画ですので、ぜひ一度見てみてください。

 

それでは。

「ソーシャルネットワーク」 映画感想

こんばんは。

 

ソーシャルネットワークを見たので感想を書きます。

 

この映画は、マーク・ザッカーバーグフェイスブックを立ち上げた実話をもとにして作られたものです。

マーク・ザッカーバーグハーバード大学に入学し、ガールフレンドのエリカと揉めているところから話が始まります。

エリカと別れたマークは、エリカのことをブログにボロクソに書きます。

そして、ハーバード大学の女子の格付けサイトを立ち上げます。大学のコンピュータをハッキングし、女子学生の顔写真を集め、フェイスマッシュというサイトを作ります。2人の女子学生が画面に表示され、右か左のどちらかのを選んでいくというものです。サイトを立ち上げてすぐ、アクセスが集中し、大学のサーバーが落ちてしまいます。マークは、大学の諮問委員会に呼び出しをうけ、謹慎処分を受けます。

そんなマークのプログラミング技術に目を付けた、ハーバード大学のウィンクルボス兄弟とディビヤがマークを誘い、ハーバード大学生専用の出会い系サイト、ハーバードコネクションを作ろうと持ち掛けます。

マークは二つ返事でやることを伝えますが、その後、ウィンクルボス兄弟とディビヤに何かしらの言い訳をつけ、会わないようになります。マークはその間に友達のエドゥアルドとともにハーバードコネクションのアイデアを基にして作ったザ・フェイスブックを作ります。

ウィンクルボス兄弟とディビヤは、アイデアをマークが盗んだとして、学長に直談判しますが、相手にされず、断念。裁判を起こそうという話もしますが、ウィンクルボス兄弟は紳士であることを理由に裁判を起こすのをためらいます。

ウィンクルボス兄弟はボート部に所属しており、イギリスで開かれた大会に参加したときにザ・フェイスブックハーバード大学だけ、アメリカだけでなく、海外にも進出していることを知ります。そのとき、ためらっていた裁判を起こし訴訟することを決意します。

マークは、無料音楽サイトを作ったショーン・パーカーと出会い、彼と話しているうちに彼に魅了されていきます。ショーンから「ザ」を取った方が良いと言われ、サイトの名前をフェイスブックに変えます。

マークは、ショーンの影響を強く受けて、会社をどんどん大きくしていきます。株を新しく発行し、エドゥアルドの持ち分をかなり大きく減らします。もちろんエドゥアルドの承諾なしで。それに怒ったエドゥアルドがマークに訴訟を起こします。

こうしてマークは2つの訴訟を起こされ、映画の中でその訴訟の様子が描かれていきます。マークは、弁護士から示談を勧められ、示談に応じて訴訟は終わります。

最後は、元恋人のエリカにフェイスブックで友達申請をするところで終わります。

 

プログラミングの技術がある人の凄さ、マークのアイデアを実行する行動力、人間関係が壊れていく様子、などなど面白いところがたくさんあります。

訴訟を起こされたマークの人間味のない発言と反対に、エリカのことをずっと忘れられない人間ぽさが一番面白かったです。

 

フェイスブックがどういう経緯でできたかというより、人間関係を見るのが面白いです。

まだ見たことがない方はぜひ一度見てみてください。

 

それでは。